【圧切さん戦国史跡レポート】伊勢詣編01

圧切さん伊勢詣で01

普通、「伊勢詣で」といえば、外宮内宮からなる伊勢神宮詣での事らしいのですが、
ここでいう所の「伊勢詣で」とは、「九鬼詣で」の事です。
あの、信長公屈指の水軍、戦国一と言われた毛利の「村上水軍」を看破した、
「九鬼水軍」の大将、九鬼嘉隆公ゆかりの地を辿ることが、私のいうところの
「伊勢詣で」なのであります。

前々から行きたいと思ってもいたし、ある方から、伊勢には原寸大の安土城
あるなどと聞かされた日には、殿命である私の心はどこまで飛んで行くのかと
いうほどに、想いが募ります。

九鬼氏については、詳細は↓にてご参照のほどを。
http://www.jpreki.com/jp/kuki.html

4/25日の深夜バスにて、鳥羽へ。

明朝7時半着。到着15分前から何故か土砂降り!!またかよ!と嘆きそうに
なるものの空は明るい。覚悟を決めて出陣です。
鳥羽より4時間確保してあった観光タクシーで、当南端の波切&大王岬へと
向かいます。ここにはローカルなバスと電車しか行けず、一時間か二時間に
1本くらいなものなのでここでの時間の浪費は避けたいところ。
レンタカーより安く済むなら、道を知ってる方の車の方が安心だったのです。
それくらいお手頃価格!!ありがたい〜〜。
しかも、空はどんどん晴れて行き♪

ここ波切は、九鬼氏が幼少から青年期までを過ごした海の要塞です。
内湾と外洋の流れのぶつかるこの海とこの済んだ青さは、まさしく男の海です。
しばし、こんなところで育ったら「漢」も生まれるというもの。などと浸りきりの時間です。
が、ぐずぐずしていたら、本日中には帰れません。
そこから取って返して、自ら築工し壮年期を過ごしたとされる鳥羽城跡へ。
ここは現在、城跡と小学校が混在しています。

更に、鉄甲船を造船したとされる大湊を左前方に仰ぎ見て、定期連絡船にて、
その生涯を閉じたとされる、答司島へ向かいます。25分後到着。すでに12時。
乗船券のモギリのおねえさんに、
「次の(45分後)船に乗りたい。伊勢海老の美味しいのが食べたい。九鬼氏の
首塚と胴塚にお参りしたい。」などといきなり何言ってんの?ともいうべき
我儘を申し出たところ、「よっしゃ!ちょっと待ってや!」と言うが早く、どこぞに
携帯電話で連絡。

すると数分後に、どこかのおすし屋さんの軽が来て、あれよあれよと言う間に
乗せられ、着いたらテーブルには飛び跳ねてる巨大な伊勢海老!

圧切さん伊勢詣で02

それで「これでどうだい?値段はコレコレ!」「ええ?!」・・・
もう本当に驚くほどのリーズナブルなお値段!!
「い、いいんですか?」と聞いたら、「俺は漁師だからよ!」という返事。
「それに首塚行くんだろ?いいよいいよ、食べたらちゃんと送ってってやるから。」
私「!!!」。でもそういう私も、喉も渇いてるし腹も減ってるしで、ビール片手に
お行儀の悪い食べっぷりで、あきれてるかしらん?と思えば、皆さんニコニコと
様子を見守って下さっています。

そうなんです!ここの人たちはみんな九鬼さまが大好きのようで!!
九鬼さまに限らず、後で確認したところ、昭和やそれ以前に、この島から出兵
された方々の石碑が、九鬼さまの胴塚の横に、ズラっと建てられているのです。
まるで、その一角山ごと聖地のように・・・。

とにかくブタのようにガツガツ食べてる間にも、時間が迫ります。
「ほんっと!美味しかったです〜〜!!」と言うか言わないかのうちに、
外にはあの軽がスタンバイしています。御礼の言葉もそこそこに車に揺られて、
首塚と胴塚のある山の麓に着きました。
きちんとお礼をと思ったのですが、「ほら!ここからの山道は大変だし、
早くしないと船が出てっちゃうよ!」「じゃぁな!」と片手で「よっ」と
ばかりのパフォーマンスで、軽はブゥ〜〜っと行ってしまいました。
私は忘れませんよ〜。「まるみつ寿し」の親方!!

いつか、この島には、絶対に泊まりに来るからね〜〜!!
ここは和具という漁港で、この島の反対側は、夏は本当に賑わうビーチ
なのだそうです。もう絶対に泳ぎに来たい!
九鬼さまの泳いだこの青の綺麗な伊勢湾に・・・。

(続く)

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