【圧切さん戦国史跡レポート】伊勢詣編03

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圧切さん伊勢詣3-1

九鬼氏は、信長公に、常に背中とお尻を押され続けて、或いは身体と頭脳を
引っ張られ続けて、前に前にと進んで来たわけですが、あの本能寺の変以降、
その反動で暫くは虚無感に苛まれ、ある時期は、生まれて初めての高熱に
脅かされ、今でいうところの欝のようになっていたと推測されます。

恐らく殿の家臣の中でこのような状態になった方々は、たくさんいたのでは
ないでしょうか?いきなり、目の前の全て、それも生甲斐や目標が無になる
というのは、どれほどの空虚を産むか想像に難くないです。特攻待機のまま
終戦を迎えた父も、何年もグレるしかなかったとよく言ってましたし。

でも、こうしたまさかの時にも、元気で乗じる事のできた秀吉という人は、
やはり抜け出た人だったのでしょう。今の時代も、運命がいきなりボールを
投げて来て、それを受け止めて返せる人と受け入れられずに停滞する人が
いるのはよくある事ですから・・。

その後、秀吉の朝鮮征伐でも、九鬼氏の戦略の意図が通じず敗戦に至る事も
あったものの、九鬼氏は重用されるまま戦艦の建造(=傑作日本丸)に
邁進します。それらの船は全部木製です。蒸気やエンジンの発明以前では、
鉄張りの船で長く航海をするのは無理というもの。あの鉄甲船は、あの時の
あの場所のみのために出現した、世界で一個の、本当に幻の船だったんですね〜。
まさに一世一代、一期一会の船でした。・・・・・・

圧切さん伊勢詣3-2

さて、私はというと、もう乗船時間が迫っています。
取り敢えずまだこの先に、一応見ておきたい原寸大の安土城が待っていますし。
短い時間でしたが、この島とはこれでお別れです。
モギリのお姉さんに手を振られるままに、一路鳥羽へと帰還船・・・・・。

この帰りの船の乗船中に、あのタクシーの運転手さんから携帯に電話が
入りました。予定してあった時間より、少し時間が余ってしまっているし、
自分は今日はもう上がりなので、その安土桃山村まで送りますよ、というもの。
え〜〜?いいのか?と迷いましたが、ここって定年制ってないのでしょうか?

その方は、もう齢70のおじいさんなんです。一応は遠慮してみたものの、
上司もそう言うし、などと仰られたら、断るのもなんだか無粋のような気がして、
折角なのでご好意を受けることに致しました。

発着場についたら、90度お辞儀で待ってるし!みたいな(汗)。
ちょっとだけ、私って雅な人?とかいう気分になりました(笑)
しかも途中通るしという事で、二見が浦に寄って下さるという
気の利きようです(感謝!!)取り敢えずも天照大神像に接見させて頂いて
良かったです!!

(続く)

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