【圧切さん戦国史跡レポート】伊勢詣編04
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伊勢神宮の内宮へ到着。
内宮の鳥居までの参道は、おはらい町とかおかげ横丁とかいう名前の
出店の立ち並ぶストリートです。あの赤福もここにあります。
ここは、清水や浅草のソレよりも規模がデカい!!
まんじゅう屋、ドーナツ屋、土産屋、アイス屋等々のこういうところの
マニュアル店の他に、伊勢ならではのさざえ焼きだのあわび焼きだの、
伊勢海老焼きだの、そういう店まであります。勿論、生ビールも!!
大阪のたこ焼きやは流石になかったような気はしましたが・・。
魚介類の串を片手に、生ビールのコップを持ってるワタシ!!であります。
更に、銀行が江戸風の作りになってるところもお洒落でいいです♪
外人さん観光客もめっちゃいっぱい見かけます。
神宮という名称は、この伊勢神宮の事です。
今でこそ、XX神宮はたくさんありますが、元々は、伊勢神宮、石神神宮しか
なくて(日本書紀)、平安時代では、伊勢と鹿島と鹿取、江戸時代までは
この3つが王権直属の神宮とされていました。
さて、伊勢神宮とこの伊勢については、まだまだたくさんの謎や不可解な事や
興味深い事も多いのですが、今回は訪問の意図も違うので、これについては
未来の機会へ持ち越しとさせて頂きます。
ただ一つ、創建された頃から暫くは、この国には、神と人と人以外しか
いなかったようです。当たり前のような事ですが、ここでいう人とは、宮中に
関連していた人。つまり、それ以外は人ではなかったわけで。
私達のような庶民も、勿論人ではなかったらしいです。鬼とか蛇とか、
そういった類と同等だったようで。
ただ、九鬼氏の時期、この伊勢が小区域に分断し戦いの途切れない頃には、
伊勢の神官達も二手に分かれて一緒になってけん制し合ってたようですから、
古から戦国までの間には、まずホモサピエンスは一応、人として認識される
ようになっていたのでしょう。このプチ逃亡の最後に、伊勢の壮大な秘密の空気に
ちょっとだけ触れた事も、また何かのご縁かもしれません。
何となく、頭の隅っこに「つづく」の文字が浮かんだような・・・・。
足の痛さを引きずりつつ、
伊勢市駅JR特急「みえ」→名古屋JR東海新幹線「のぞみ」→
品川JR埼京線と乗り継いで帰るごとに、過去から現代にワープしているような気分。
そして、今自分は、平成の真っ只中に存在しています。
2008年 5月 圧切
本日で【圧切さん戦国史跡レポート】伊勢詣編は終了です。
最近、戦国関連で愛知、岐阜、滋賀と行くことはあるのですが
気がついてみれば三重県をまだ訪れたことがありませんので
非常に興味深く拝見させていただきました。
大きな伊勢エビを見まして、いつか伊勢に遊びに行こうと誓いました。