【12/5】 戦国武将の出来事

12/5 戦国武将の出来事
決してネタが無くなったわけではありません。

津軽為信


長尾景英(ながおかげひで) 1527  山内上杉家家臣

阿部正豊(あべまさとよ)  1535  三河松平家

松平清康(まつだいらきよやす) 1535  徳川家康の祖父

伊達晴宗(だてはるむね) 1578  伊達政宗の祖父

石井常延(いしいつねのぶ) 1581  竜造寺隆信の家臣・石井和泉守忠清の嫡男

原胤栄(はらたねひで)  1590  下総原氏宗家

津軽為信(つがるためのぶ) 1608  弘前藩の初代藩主

戦国武将ですと、生年不詳の方が多いようで
没年のほうが調べやすい気がします。

そういった所にも当時の死生観が表れているようです。
死ぬ時が肝心というか、いかに死ぬかということだと思います。

時代は違いますが、最近、吉田松陰の「留魂録」を読みまして
吉田松陰の死生観に触れました、一部抜粋。

私は三十歳で生を終わろうとしている。

未だ一つも事を成し遂げることなく、このままで死ぬというのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実をつけなかったことに似ているから、惜しむべきことなのかもしれない。

だが、私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのであろう。なぜなら、人の寿命には定まりがない。農事が四季を巡って営まれるようなものではないのだ。

人間にもそれに相応しい春夏秋冬があると言えるだろう。十歳にして死ぬものには、その十歳の中に自ずから四季がある。二十歳には自ずから二十歳の四季が、三十歳には自ずから三十歳の四季が、五十、百歳にも自ずから四季がある。

十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。百歳をもって長いというのは、霊椿を蝉にしようとするような事で、いずれも天寿に達することにはならない。

私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。それが単なる籾殻なのか、成熟した栗の実なのかは私の知るところではない

(参考文献:古川薫著「吉田松陰 留魂録」)


話はとんで

巷ではGoogleの日本語入力システムが話題ですが
こういった転記作業をしてますと、いかに戦国武将の名前が
既存の入力システムでは入力しずらいかよくわかります。

自分で鍛えるしか方法はないのでしょうか。
時々イラッとします。


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