もののふ主宰のつぶやき Thu, Mar 10

  • 18:15  3/10【今日は何の日(戦国編)】 慶長16年船越景直(ふなこしかげなお)没(享年72)初め安宅冬康に水軍を従えて仕えた。のち信長→秀吉と仕えるが、秀次事件に関わり、陸奥南部信直に預けられる。秀吉の没後は家康に仕え6千石の旗本となる。茶人として古田織部小堀遠州らに師事した。
  • 19:15  3/10【今日は何の日(戦国編)】 元和4年伊奈忠政(いなただまさ)没(享年34)関東郡代伊奈忠次の嫡男。関東郡代職を継ぐ。大坂の役・冬の陣では外堀を埋め立てる普請奉行を務め、夏の陣では首級三十を挙げる。日本一小さな東照宮船橋東照宮は家康の命を受け忠政が建立したものと伝わる。
  • 19:15  3/10【今日は何の日(戦国編)】天正10年一条信龍(いちじょうのぶたつ)没。甲斐国上野城主。武田信虎の八男。本願寺及び松永久秀畿内勢力との外交を担当。信玄の遺言により勝頼の後見人となる。甲州崩れでは家康に上野城を包囲され三河勢1万に手勢3百で突撃して武田信就と共に討死にした。
  • 19:15  3/10【今日は何の日(戦国編)】寛永14年本多正純(ほんだまさずみ)没(享年73)本多正信の長男。父・正信とともに家康に重用される。大久保忠隣を失脚させ、幕府初期の政治は本多親子が牛耳る。しかし家康・正信死後、秀忠とその側近に疎まれ本多家は改易、佐竹義宣に預けられ流罪となった。
  • 19:15  3/10【今日は何の日(戦国編)】天文15年龍造寺家兼(りゅうぞうじいえかね)没(享年93)家兼が少弐氏を救援しなかったことに対し、馬場頼周などが家兼の2人の息子と4人の孫を誅殺。家兼は筑後に逃れ、蒲池鑑盛の保護を受けた。翌年挙兵、鍋島清房らが呼応、馬場頼周を討ち龍造寺氏を再興。

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